1年の前期にAを取って今やっとBを履修。


時代は15世紀。戦国時代真っ只中。
種子島に鉄砲、そしてキリスト教が布教し始めたときのお話でした。

なんか初めは「お前らは所詮日本人なのだ」とか
お祈りの内容すら教えず無理強いしていたらしい。
異国のやつなんぞに理解できんだろう、とか見下して。


けれど宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノさんが
日本を自分の目で見、「無理強いしても意味がない」と
セミナリオ(キリスト教とか?色々なことを学校)を開校。


当時の日本をほぼ統括していた信長にも呼ばれ
「日本の王も我々に好意を抱いてくれている」と
日本からローマへ親善大使を出すことを思いつく。


それを「天正遣欧使節」という。


天正遣欧使節は12,3才の少年4人から成り
セミナリオの生徒
伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルティノの4人であった。
4人は2年もかけローマへ行き、ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。
極東の日本が日本に認められた、のにも関わらず
その頃には信長は本能寺の変で既にこの世の人ではなく(というか長崎を出港した4ヵ月後に本能寺の変が…)
豊臣秀吉バテレン追放令発布。
二人は病死、一人はキリスト教を棄て、一人は殉教、という悲しい結末になってしまったのである。


折角国の代表で頑張って行ったのに…(´・ω・`)
かなり切ない。